勉強 / 学習

英語の学習 / Learning English

英語と私 / English and I

私は海外の人とやり取りをする仕事のため、英語を使う。しかし、英語が好きで英語を勉強して英語を使えるようになったわけではなく、必要に駆られて英語を勉強して英語を使う仕事を行っているというのが実情である。

同じく英語を使う仕事を行っている同年代または少し下の年代の同僚は帰国子女や、外国文化が好きで大学で英文学を先行した人や留学経験者が多い。私よりも上の年代は必要に駆られて英語を習得した人も多いという環境だ。

仕事で英語を使っているというと、日常的に英語を使っていない人からすると「英語しゃべれるんですね。すごい」と言われる事があるが私は全然すごくない。かろうじて英語でのコミュニケーションを行えるというレベルであって、日々勉強している。知らない事・知らない表現に出会う事も多い。そういえば高校時代の担任だった英語の先生からは常に「語彙不足だ!」と言われ続けていた。あまりに言われすぎて学年で一番書道がうまい人にお願いして毛筆で「語彙不足」と書いてもらったものを原稿としてクラスTシャツの背中部分に「語彙不足」とプリントしたくらいだ。約20年前から語彙不足。

入社時のTOEICの点数は340点。今はIPテストの結果ではあるが800点を超えた。TOEICのスコアが倍以上に改善しているのは事実であるが始めの点数が低すぎて、伸びしろしかないからできたことである。TOEICは990点満点なので入社時から500点とかとっている人はどんなに努力をしたってスコアを倍にする事はできない。

私は必要に駆られて英語を学習して日常的に使うようになった。決して英語が好きだから勉強したわけではない。そのため同年代以下または自分よりも10歳くらい年上の方からでも「英語しゃべれるんですね。すごい」と言われると「あなただって、私レベルまでは理解してしゃべれるようになりますよ!!」と声を大にして言いたくなる。実際言っている。中学生の頃から英語学習をしているのだ。なんなら「英語しゃべれない」って言っている人の中で私よりも語彙力がある人は確実にいる気がしている。

たまに勘違いしている人がいるが、英語でコミュニケーションをとることと、翻訳・通訳は全然スキルレベルが異なる。私は翻訳・通訳ができるレベルでは全然ない。なにせ語彙不足だし。

今後このブログでは自分の英語での表現力向上、語彙力向上のため、および読者の方の英語学習意欲が少しでも向上する事を願って英語に関するトピックを定期的に取り上げていきたい。

母国語以外を学ぶという事のメリット

英語を理解できるようになると、日本語で表現されている情報のみを理解できる状態と比較して、理解できる情報の量が飛躍的に増える。これは多くの人が想像できるメリットだと思う。例えば日系ではない航空会社の国際線に乗って機内で映画を見る時に、日本語字幕はなくとも英語字幕はほぼ必ずあるのではないだろうか。あまり真剣に確認したことはないけれど。

それもメリットの一つであるが、私が大きいと思うメリットは「英語で表現できるロジックで物事を考えるという経験ができる」という事

英語が苦手だと感じる人の中には、普段なにげなく使っている日本語をそのまま英語に変換しようとしてうまく変換できないという経験をしたことがある人もいるのではないだろうか。主語と述語を意識せずに文脈で理解しあうハイコンテクスト言語である日本語から、1つ1つを明確に記述していく言語である英語に変換するためには、まずは日本語の文から曖昧な表現を取り除き、主語と述語を明確にしていく必要があると感じている。それは時に簡潔にみえる日本語の文章を回りくどい表現にしてしまう事もあり、不自然な日本語になってしまうように感じて苦手意識が生じるかもしれない。

日本語と英語の変換のために生じる文章を再構成する経験から、自分が感じている事や考えている事を言語化する際のロジックに変化が起きたように感じている。自分が考えている事なのか、感じている事なのか、何を見て・聞いてそのように感じたのか。自分に直接かかわりのある事で感じている事なのか、人の気持ちを勝手に推測して考えている事なのか。「できるけどしない」ことなのか「チャレンジする事すらしていない」事なのか。

つまり、新しい視点や思考方法に触れる事ができる。アクセスできる情報の量が増える事、直接コミュニケーションをとる事ができる人数が増える事のほかに、考えられる事や理解できる事の幅も広がるというのも英語学習(母国語以外の言語の学習)のメリットの一つだと考えている。

余談

私は大卒以上の学歴で「英語できない」と言っている人に対して厳しい。多分これは、非喫煙者よりも禁煙に成功したかつて喫煙者だった人のほうが、喫煙者に対して厳しいという現象に類似していると思う。

私ができているんだから、あなただってできるはず。ってことである。