シン・エヴァンゲリオン感想(ネタバレなし)
3月に2回、シン・エヴァンゲリオンを見に行った。
面白かった!アクションを伴うアニメーションとして、人間同士の物語として、様々な謎を抱えながらも物語として成り立つ作品として、本当に面白かった!
1回目、エンドロール見終わった後、劇場内が明るくなるまでの時間がすごく長く感じられた。
近くの席から「本当に、終わった…」という呆然としたような男性の声が聞こえた。すごく素直な感想だと思った。
とにかく「本当に、終わった…」だった。
ブログを開始してすぐだったので、感想をブログに書きたいと思いながら、公開してからしばらくの間はネット上でのネタバレ感想を控えるようにという方針が公式から出ていたし、何より自分の考えをまとめる事ができていなかったのでブログ記事にする事ができなかった。
1回目を見た後、ネタバレありの考察動画を見たり、ネット記事を読んだり、知人と話したりして、「え?そういう解釈あり?」と思う部分や、「それは気が付かなかった!!!」という情報が色々とあり、1度目を見てからちょうど1週間後に2回目を見に行った。
2回目を見る事で色々気になっていた部分を確かめる事ができ、自分の中での疑問が解ける部分は解けて、解けない部分はそのままだけど、テレビシリーズの最終話を見てから約25年経って、私にとっての「エヴァンゲリオン」は終わった。
何故このタイミングで感想記事を書いているのか?
初回に見てから約1か月が経った今、もう今更感想や考察を書く機を逃したかなと思っていたが、今朝突然「シン・エヴァンゲリオン」というタイトルの後ろについているリピート記号について、自分が納得できる説を思いついた。
その見解を他の人の意見を見る前に書き記したい!という思いから勢いで記事を書いている。
テレビシリーズ・旧劇場版・新劇場版 Qまで
元々、テレビシリーズ+”旧劇場版 Air/まごころを君へ” は1つの話。テレビシリーズの最後2話が精神世界の話になってしまったので、現実世界ではなにが起きていたのかを描いたのが旧劇場版であった。はず。
新劇場版”序”と”破”はテレビシリーズとの共通点が多いものの、異なる点も色々とあった。その中でもわかりやすい違いはアスカの苗字と、新キャラであるマリの存在だった。
その違いから、新劇場版は単純にテレビシリーズを作り直したものではなく、テレビシリーズの並行世界説、ループした世界説が出てきた。
Qにてテレビシリーズ+旧劇場版にはない初めての怒涛の展開が繰り広げられ、未知の「フォースインパクト」が起きようとして私の頭はエヴァンゲリオンに対しての思考を停止した。8年間停止しっぱなしだった。
リピート記号の意味(ネタバレあり)
私は新劇場版はループした世界だと思っている。
カヲル君がシンジ君に会う時にいつも思わせぶりに、まるでシンジ君の事を知っているかのように振る舞うのは、彼はあの世界をループして生きてきたため。「円環の中で生きていた」ってカヲル君も言ってるし。
では、なぜ「ループが終わる話」のタイトルにリピート記号が付いているのか?
楽譜上のリピート記号の説明を以下に引用する
通常の1本線で書かれた小節線ではなく、太い線、細い線、点2つで書かれた小節線がリピート記号です。
初心者でもわかる楽譜の読み方 | 12. 繰り返し記号
リピート記号で囲まれた部分を2度演奏したあとはそのまま楽譜の続きを演奏、もしくは曲を終了します。
繰り返した後にこの記号の場面まで再び来ても再度繰り返す事はなく、そのまま続きを演奏するか、曲が終了する、という事を示している。
つまり、ループしていたエヴァンゲリオンという物語が終了するという意味で、題名にリピート記号が付いているのだと解釈するとしっくりくる。
題名が発表されたときはリピート記号が付いているという事は「繰り返す」という事だから、エヴァンゲリオンは終わらないのではないかと勘繰った事もあるが、すでにエヴァンゲリオンの世界は繰り返されているので、この記号に出会うと、続きにいくか、終了するかの2択しかないということになる。
結果として、シン・エヴァンゲリオンではそのループする世界の中でシンジ君が大人になり、ループする円環から脱し、「エヴァンゲリオンのない世界」という続きに進むことによって結果的にエヴァンゲリオンは終わったと解釈した。
本記事の内容とはずれるが、全般的にキリスト教からモチーフや着想を得ている事が多い作品であるけれども、結果的に輪廻転生のループからシンジ君が悟りを開くことによって解脱してみんなを救う話と考える事もできる作品になっている。
本日のボキャブラリー
本当に面白かったものに対して、「本当に面白かった」以上の言葉でどこがどう面白かったのかを書こうとすると、全て野暮な表現になってしまう気がするのはなんでだろう。