不謹慎な表現になるかもしれないが、私は仕事をしている平日はすぐに「生きてるのメンドクサイ」という言葉を発してしまいそうになる。
一人で家で仕事をしていると「しにてー」と言ってしまっている事すらある。
でも土日や休日には思わない。
つまり「仕事に向き合うのがメンドクサイ」という事なのだと言語化してみた。
では、仕事の何がメンドクサイのか。メンドクサイ事をちゃんと言葉にしてみようと考えた。
英語
仕事をしている時間の8割は英語で物事を理解し、会話し、メールを書く・読むというのがメンドクサイ。
日本語だけでやり取りしていれば楽なのに、と思う心がある。
外国籍の同僚からの発言やメールでのメッセージが、ただのアドバイスなのか、嫌味なのかもくみ取れない。
「せっかく英語を使えるのだから仕事でも英語を使いたい」と理性で考えている一方で、感性ではそれをメンドクサイと考えている自分を発見した。
アドバイスだろうと、嫌味だろうと、否定や疑いの言葉を受け止めるのはシンドイ。
バイアス
言語の問題だけではなく、私はジェンダーバイアスのかかった発言というのが苦手だ。
”女性は**だよね”という発言をしているのを聞いたことがある相手には身構えてしまう。
その人の名前を見るだけでも嫌な気持ちになる事すらある。
その一方で、そういう発言に直面しても、真っ向から反論する事もできずにいる。そういう発言をしたら今よりももっと「扱いにくいヤツ」としてその人の中で分類されるのであろうと考えてしまう。
そうするととりあえずその場でその発言を流し聞いておいた方が、自分の立場が危うくなりにくいのではないかという感情に流されてしまう。
ジェンダーギャップについての情報をネットや書籍で目にするたびに、勉強して、自分もジェンダーバイアスを軽減する方向の行動をちゃんと起こしていかなければという気持ちになる。
私にとって仕事に向き合うという事は日々感じるジェンダーバイアス、ジェンダーギャップについて向き合うという事で、それはシンドク、メンドクサイ。
今日のボキャブラリー
この記事を書いているうちに「メンドクサイ」という感情のさらに奥にあるのは「シンドイ」って感覚なのかなと思い至った。
正直なところちょっと泣きそうになった。
一年後にこの記事をみたら、「こんな事で悩んでたの?」と笑い飛ばせると思いたい。