勉強 / 学習

読書:ひれふせ、女たち ミソジニーの論理

なんということでしょう。

今月は沢山ブログ記事をアップしようと思っていたにもかかわらず、気が付けば6月26日。

6月も残すところあと5日間。

一体私は何をしていたんだと思う一方で、1つ成し遂げた事は読みたいと思っていた本を読み切った事。

ひれふせ、女たち ミソジニーの論理 [ ケイト・マン ]
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東京都は緊急事態宣言が発令され、映画館はもとより普段よく利用していた千代田区の図書館は基本的には休館となっていたものの、予約をすれば本を借りる事ができる状態だったので、予約して借りて読んだ。

ただ、通常2週間で返却の所、借りなおしを行い合計6週間借りていた。1か月半。

通常2週間で読み切れない本はそれ以上手元に置いていても読めないという思いがあったが、この本は読みきりたいという思いがあるものの、自分の読解キャパシティの都合上1度に読める量に限りがあり2週間では読み切れず、期間延長+借りなおしにより読み切った。

本当に読みたいと思っていた文章量の多い本を読み切った爽快感が少しある。

しかしその爽快感以上に学びがあった。

ミソジニーとは

ミソジニーに関して勉強したいと思った時にブログにその思いをしたためた。

その際に紹介した記事の内容はミソジニーについての見解がとても上手にまとめられていたが、やはりその元となっている本を読むとより深い学び・気づきが沢山あった。

記事で説明されている通り、ミソジニーは以下のように理解する事ができる。

そこから著者は、ミソジニーを、「素朴理解」ではなく、「家父長制秩序を支える機能をもつ」「人を支配するためのシステムの一形態」として理解するべきだと主張する。

「ミソジニー」って最近よく聞くけど、結局どういう意味ですか?

この意味を様々な例を用いて考察しているのが本書である。

興味深い点

本書はオーストラリア出身でアメリカ合衆国在住の方によって執筆されている。

本書内で例として挙げられている事柄の中には、日本では実感しにくい人種問題も含まれているのが、基本的には日本においても「言われてみれば、確かにそうかもしれない。」と思える例が沢山提示されている。

公明正大なブルータス

シェイクスピアによる戯曲「ジュリアス・シーザー」内で、シーザーが暗殺された後、シーザーの友人であるアントニーはシーザーの生前の善い行い、善い人間であると思われる行動を明示し、「しかし、ブルータスは彼(シーザー)が野心を抱いていたという」という演説をする。

これは「日頃素晴らしい行いをしている人は、間違った判断・悪い行いをする事はない」という一般的なバイアスを考えさせる内容である。

一般的に特権的な階級・ステータスにアル男性の起こした罪を赦す傾向が私たちにはあるという事がシェイクスピアの戯曲が書かれたであろう16世紀には指摘されているのである。

現代の性犯罪に置き換えてみる。

  • 一般的に「素晴らしい実績を残した人」はレイプ犯ではない。
  • Aさんは素晴らしい実績を残しており、とても愛情深くつながっているパートナーがいる。
  • Bさんはとりたてて人に自慢できるような実績は持っておらず、容姿も人目を惹くタイプではない。
  • ある日、BさんはAさんにレイプされたと被害を訴えた。
  • 一般的に「素晴らしい実績を残した人」はレイプ犯ではない。
  • ところでAさんは「素晴らしい実績を残した人である」。
  • それゆえ、Aさんはレイプ犯ではない。
  • Bさんは自分に注目や同情を集める目的または、Aさんになんらかの恨みを持っていて、Aさんをレイプ犯として告発しAさんの地位を脅かしたかったのだ。

という論理がまかり通ることがある。

Aさんは地位があり、パートナーもいるのだから、Bさんをレイプする動機がない。それゆえに嘘をついているのはBさんである。という論理。

このように文章で書かれると、AさんもBさんも具体的にどのような証言をしているのかなどの詳細が気になるという人もいるかと思うが、この表現だけで、Bさんが女性で人々の耳目を集めたかったのではないかと感じてしまった人もいると思う。

しかし、実は上記中でAさんとBさんの性別については全く言及していない。

行われたと表現されている事から無意識のうちにAさんが男性で、Bさんが女性のような印象を持つだろう。

”特権を持っているのは男性”でその男性に対して性的な嫌がらせを行うのは女性であるという一種の無意識の偏見(アンコンシャスバイアス)ではなかろうか。

”特権を持っているのは男性”であるという意識は実にミソジニー的な意識である。

読んだ感想

今まで感じていた「生きにくさ」について、フェミニズム的活動・運動の理念では理解がしきれていなかった。

この本で記述されている様々な事例とそこから考えられる概念、そしてまたその概念から連想される具体的な事象によって、自分が感じていた「生きにくさ」の理由が、家父長制を支えるミソジニーによるものであると名付ける事によって少しすっきりと理解できた気持ちになる事ができた。

それと同時に「あの人は女性蔑視的な考え方を持っている」と個人に対して感じていた感想が、ミソジニー的文化によって醸造されてきたものであると考えてみる事ができ、個人ではなく構造に対しての問題意識としてとらえられるようになった。

一方で、個人ではなく構造・文化の問題であると考えると、非常に根深く、「誰某と考え方が合わない」と個人の相性の問題として処理する事も困難になったため、今まで以上に”生きにくさ”を感じるようにも鳴った。

今日の一言

今までよりも生きにくさを感じるようになったけれども、知らなかったときよりも、人生としては良い人生になると思う。

学ぶこと、新しい価値観を知り、自分の視野を広げる事は常に人生を実り多きものにする糧になると信じている。