2021年10月13日に武道館で見た後に勢いで記事を書いたものの、公開できずにいた。
理由は感想を含めようと思うとどうしても自分の趣味と合わなかった部分について否定的な表現をしてしまうから。
年が明けた今、彼女に対してではなく自分の感じ方という目線で記事を公開したいと思う。
セットリスト
賛否両論、ピ多めかもしれない感想
衣装チェンジ後のアップテンポなセクションがすごく楽しかった。
私の中での鈴木愛理の魅力は「楽しさ」「元気さ」「かっこよさ」をエンターテインメントとして届けてくれる部分であると認識。
恋愛を題材にした楽曲も多かったがその多くが、なんだかピンとこなかった。
Youtubeで流し見している段階ではそこまで違和感を感じなかったが、今回生で聞いている中では違和感を感じた。
とりわけ【違う人の彼女になったよ】と、アンコールで歌った【光】は受け入れがたかった。
違和感を感じた理由を自分なりに考えてみた。
私の中でのイメージに過ぎないが、”恋愛および恋愛相手が人生の全て”みたいな女の人目線の歌を私が受け入れる事が出来ない。
歌が上手でビジュアルもかわいいし、きれいだし、時にセクシーに魅せる事もできる。何よりファンの前に「鈴木愛理」として立って、表現をする事の楽しさを知っている「鈴木愛理」が歌っている事に対しての違和感。
彼女は歌手として、プロとしてその歌を歌い上げているのであって、その歌の中の人と彼女自身を同一視する必要はないわけではあるが、ファンタジーとして同一視したいと思う人はいるだろうし、そういう目線を期待しているようにも思う。
私の中での鈴木愛理は℃-ute時代の終盤の楽曲【羨んじゃう】のイメージだ。
自分は夢や目標に向かって努力しているから彼氏はいらないと言いつつ、恋愛をしている友人のことは羨んじゃうという心情をポップに歌い上げる楽曲。”この人生は私のだ”といって、男(恋愛感情)には振り回されたくない、でもうらやましい・・・という心情、これならしっくりくる。
前述の【違う人の彼女になったよ】も【光】も、男性の事を一番に考え、その関係性や自分の気持ちについて歌い上げる楽曲になっている。言い方を変えれば男性が期待するかわいい(都合のいい)女性像ではないか???という目線で聞くとそのように受け取る事ができる。いわゆるミソジニー的価値観が根底に流れているようにすら感じられた。
生活の中におけるその感情の部分にフォーカスしまくった状態での楽曲であるという解釈もできる。しかしいかんせん「男性が求める、女性視点の恋愛感情」のように感じられる。
私は【Independent Girl~独立女子であるために】や【羨んじゃう】の、恋愛だけに振り回される事なく自分の人生を模索するような姿勢の曲が好きだ。自分の力で生きて行こうとしている人たちの歌だとおもう【ソラシドねぇねぇ】も大好きだ。
今回のコンサートのMCで、自分がやりたい表現というものを考えて提案していろいろとやってきたが、一周回って「みんなが見たいと思う鈴木愛理を提供したい」と語った鈴木愛理。
プロのアイドル、アイドルが憧れるアイドルであった鈴木愛理。今は一人の女性ソロアーティストとして表現を続ける鈴木愛理。
とても自分勝手な感情を言葉にするならば、私は恋愛も仕事も趣味も全部あって迷いながらも選び取っていく姿を歌い上げる鈴木愛理を見たい。。。
私は強くしなやかに生きる彼女の歌を聞きたい。
今日の一言
なんて偉そうな「ピ多め」の感想書いているものの、武道館コンサートがあったら見に行くっていう程度のライトな追いかけ方しかしていない人間なので、こんなライトな人間の感想は気にする価値はないと思う。
自分が感じている事を書き記していくと決めたために公開するブログ記事。