何かを指摘された際に「自分に非があったかもしれない」と自分の言動を省みる事は、過去の自分の言動を否定する事につながるのだろうか。
自分が認識していたことと現実が違う事がときたまある。
「おっと、これは間違っていた」と認識して、そこまでの考えをアップデートする。
それによって過去の自分とは異なる意見を持ったとして、それは過去の自分を否定する事になるのだろうか。
仮に過去の自分を否定する事になっても、自分がの言動が正しくなかったときにはそれを認識して、その後の言動を改める事は”良い事”なのではないだろうか。
自分の行いを否定する事は、ある種の精神的な痛みを伴うけれども。
というのも、注意をすると「私はそんな事はしていない」と即答する人とのやり取りが何度かあり、”一瞬でも良いから、そういう事をしたかどうか?を考えてみてもらえないものか・・・”と感じたため。
本当に「そんな事はしていない」のかもしれない。
ただ、そうであればなぜその”問題”は起きたのか?
可能性は複数ある。その複数の可能性を絞り込んでいく段階で、「もしかしたら、そういう行いをしたかもしれない?」と考えてみるというワンステップを持つことは無駄ではないと考える。
今日の一言
唐突だけど、杏仁豆腐が食べたい。明日コンビニで買おうかな。