2021年の末ごろに弾丸で札幌の実家に帰った。
父親に会ったのは2020年の2月以来。新型コロナの感染者が徐々に日本国内でも確認されたころ。
その時はハロプロのコンサートが札幌で行われるのに合わせて日帰りで札幌に赴き、コンサート会場と同じ建物にあるレストランでランチを食べた。
正直その時も足がヨボヨボしているし、目はどこまで見えているのかわからないなと思っていた。
2020年のコロナ禍において、コロナとは関係なく父親は入院した。コロスの影響で入院中の父親への面会はできず母親は自らの事を洗濯物を届けるだけの存在とすら言っていた。
東京に住んでいる自分はおいそれと帰省する気にはなれなかったものの、2020年11月に一度だけ帰省した。東京での生活においてスーパーとドラッグストアしか行かない生活を2週間してから行った。当時父親が入院している状態で母親は70歳の誕生日を迎えようとしており、さすがに70歳の誕生日を一人で過ごさせるのは可愛そうかなと思った次第で。
そんなこんなで2020年の末頃に母親には会ったが、父親には会わなかった。
顔を合わせるのは今回の帰省が約2年ぶりだった。
話には聞いていたが、とても弱っていた。基本的にベッドで寝ている。時たま起きてきて、ダイニングテーブルの椅子に座り、ご飯を食べたり、おやつを食べたりする。筋力が衰え、脂肪もなくなりやせ細っているせいか、15分ほどで「お尻が痛い」という理由で離席せざるを得ない。
家の中には色々なところに手すりが取り付けられており、家の中の移動も杖をついて行う。
私がいる時に、トイレに一人でいき、居間に戻ってくる時に転んだ。仰向けになって、両手両足をやや曲げた状態で転がっていた。一緒に暮らしている私の母親が助け起こすのかと思いきや、母親はいま背中が痛いとのことで、できれば私に起こしてほしいという。私は介護の経験値はゼロに等しい。
仰向けになっている父親のひじ付近をつかみ、いったん座る姿勢まで起こしたのち、声をかけて立ち上がらせた。そこから私のひじを掴ませた状態でベッドまで誘導。
その日はそのあと父親がトイレに行くときは母親がついていく、という事になった。
正直なところ、いわゆる老老介護状態になっている。母親は病気ではないが体力の衰えは自覚しているようだし、家の中も荒れてきている。
私は何をするべきなのか
一番はじめに頭に思い浮かぶのは同居。
しかし仕事・人間関係・趣味および自分の性質を考えると、同居するという選択肢は出てこない。1日一緒にいるだけでも大変だ。
今回の帰省では1日しかいないからという理由でずっと何かしら役に立つ事をしていた。
山積みになっている皿を洗い、使ったまま洗われていない鍋やフライパンを洗い、水まわりとコンロ周りを清掃した。
うまく出来ないと言っていたいくつかのウェブサービスの登録を行ったり、配信サービスをスマホではなくタブレットで行えるように設定した。
雪がそこそこ降っていたので玄関前の雪かきもした。
でもそれは「今日しかない」という気持ちからくるもので、一緒に住んでこの作業が日常になってしまったら私は切れ散らかすと思う。
なぜこんなにもので溢れているのか。なぜそんな高額商品をショップチャンネルで購入してしまうのか。食べきれないだろうとわかっていても大きな白菜とネギとキャベツを買ってしまうのはなぜなのか…
そして何よりなぜ洗い桶があるのか。
洗い桶ブラックホール
私は皿洗いが好きだと最近自覚した。なぜ好きなのかと考えてみたところ、一人暮らしの皿洗いは作業の量が明確で、作業をすればしただけ成果がすぐに現れ、スッキリした水まわりを見ると達成感が容易に得られるためではないかと思うようになった。
私は自宅では洗い桶は使っていない。なぜなら必要性を感じないから。
一方で実家には洗い桶がある。基本的に使った食器はその中に入れて水につけておく。
たしかに水につけておいたほうが汚れがこびりつく事なく洗いやすい。北海道の方言ではうるかすという。使った後のお皿は洗いやすいようにうるかしておくことは快適な皿洗いのための大切な準備。
しかし、洗い桶は私の皿洗いスタイルとは合わない。洗い桶の水は泡や醤油や色々な要素ですぐに濁る。
そして洗い桶ブラックボックスとなる。
洗い桶ブラックボックスの中にはどれだけのお皿が沈んでいるのかがわからない。つまり全体の作業量がわからない。ゴールが見えないまま作業を始めることになる。何なら途中で追加されるお皿も存在する。元の作業量もわからない中で洗い桶ブラックボックスに洗うべきお皿が追加されると、元の作業量も新しい作業もわからないまま皿洗いを行う事になる。
この皿洗いは私がしたい皿洗いではない。
しかし私は1日しかいない。「自分はなぜ洗い桶を使うのが嫌いなのか?」を考えながら、ひたすらに洗い桶ブラックボックスの中から食器を取出し洗った。
ブラックボックスの中の課題
今、私が直面している遠隔地に住む両親の介護、身辺の世話問題はまさしくブラックボックス状態となってしまっているように思う。
課題の内容も見えなければ、大きさも量もわからず、それでいて確実に課題としてそこにある。
皿洗いであれば、ブラックボックスの中に刃物が無いかだけは気をつけてとりあえず手を突っ込んで手当たり次第に洗い始めれば良いけれど。
どうやって手を突っ込めばいいのか、向き合わなければならないという気持ちとはウラハラについつい逃げ腰になった2021年の年の瀬、そして2022年のお正月を過ぎても私は具体的な行動を起こすでもなくブログ記事を書いている。
今日のグルメ
札幌グルメといえばのスープカリー。
私がスープカリー好きになるきっかけとなったyellowに行けて、お正月ど真ん中ではない時期に帰省してよかったなと自分勝手ながらに思ってしまった。