思い

3.11

3.11という数字が特別な意味を持った日

3.11という数字が特別な意味を持つようになった、10年前。2011年3月11日、金曜日。金曜日だったことを鮮明に覚えている。

あの日の体験をおぼえている限りの時系列で書き記そうと思ったが、特殊な状況だったのでその説明を入れて今文章にしようとすると冗長で読みにくい文章になりそうなので、やめておく。実際100文字くらいはかいてみたのだが、今の時点ですらただの備忘録以上のものにならない感じがする。

忘れられない事は多々あるが、一つだけとり上げて書き記すと、あの日家に帰れず、ホテルのシングルに一緒に泊まった友人は夜中までテレビ画面を凝視していた。弟が仙台市若林区に住んでいるという事と、弟と連絡が取れないという事と、テレビから発信される遺体の数の情報。かける言葉がみつからなかった。見つからなかったが、眠れない友人をそのままに、私は眠気に負けて寝た。後日聞いたところ、私があまりに静かに寝ているので生きているかどうかちょっと不安になったらしい。

結果として友人の弟さんは無事だった。本当に良かった。なんなら今やご結婚もされている。めでたい限りだ。めでたい限りであるが、もしもあの地震の影響で亡くなられていたら、あの日眠気に負けて寝てしまった自分をどのくらい悔むことになったかな、とふと思う。そんな事を考えても意味はないのに。

直後のボランティア活動はしなかったものの、応援の気持ちと自分の目で被災地をみなくては、という思いから陸前高田、南三陸町、石巻、気仙沼などへ何度か足を運んだ。色々な事を考えたが、結局のところ「できる事を、できるだけ」の精神で、忘れずに応援し続ける事しかできないと考えている。

2013年10月 南三陸町防災対策庁舎

3.11に寄せて

3.11についての記事、コメントそして作品で胸に響いたものたち。

震災当日に津波を生中継した元NHKカメラマンのインタビュー。安全なところから、多くの命が奪われる状況をカメラにおさめるという経験をしたという自己認識をされている方。

「なぜ自分が撮ってしまったのか」 津波を生中継した元NHKカメラマンは 今も葛藤の中で生きる【東日本大震災】
2011年3月11日、NHKのヘリコプターからの中継映像は、海沿いの町をのみこむ津波を克明に捉え続けていた。カメラを握っていたのは、当時、NHK福島放送局の報道カメラマンだった鉾井喬(ほこい・たかし)さん。入社1年目、その日がまだ5回目のフライトだった。 ※この記事には津波の描写があります

https://www.huffingtonpost.jp/entry/hokoitakashi_jp_60469963c5b6e29350b272b5

宮城県出身で誠実に被災地に向き合い、自身もストイックに鍛錬されている、フィギュアスケーター羽生結弦さんの言葉。

【全文】フィギュア羽生結弦選手が震災から10年コメント

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210311/k10012908571000.html

矢島舞美さん。東日本大震災に関わるコメントをされているのを過去数回目にするたびに、ファンの方で亡くなられた方がいると知っているのだろうな、と思えるコメントをされている。今年も、最後の2文にこもっている気がする。芸能人とファンという関係は時に素敵で、時に切ないなと思う。

お空の上から、きっと見てくれているから。

この青空が、ずっとずっと先の未来にまで続いていますように。

https://ameblo.jp/yajima-maimi-official/entry-12661691486.html